庭の草木に水をやろうと如雨露に水を汲む。
あっちの木、こっちの草に水をやり、時折気に入らない草(スイカンボや月見草など)を引っこ抜いたりしつつ、水を運ぶ。
10リットル入る如雨露に何度水を汲めば終わるのか、絶対に数えたくない。
ちんたら水撒きしているうちに、雷鳴轟かせて夕立が来れば、一瞬で潤う。
膝の高さまで降り積もった雪を片付けるのはとても大変だが、夜が明けると1mも積もっていたりする。
雪の粒はあんなに小さいのに、野山を覆いつくす。
その途方もなさに安心すらしてしまう(足掻いたところでどうにもならない、気持ちの良い諦め…といったところか)。
自然の力は大きい。
雨にも雪にも、人間は勝てない。
同じく、火山にも勝てない。
「勝てない」どころか、勝負にもならない。
人間の事情なんてお構いなし(利権も都合も、ましてや「忖度」なんてありえない)で、火山は火山のリズムで生きている。
人間が24時間のリズムで暮らしているように、火山には火山の時計を持っており、眠ったり起きたりしている。
先日、群馬大学の早川由紀夫さんから『火山はめざめる』という本をいただいた。
毎日目にする身近な山・浅間山の、2万5000年の履歴書のような本だ。
昭和時代、江戸時代、平安時代、2万5000年前の噴火がどんな様子だったかを教えてくれる。
ここだけ読むと難しい本を思い浮かべるかもしれないが、この本は絵本だ。(しかも、福音館書店から出版!)
詳しい知識を持ち合わせない人(私だ)をも、ぐいっと引き込む。
爆雪のような途方もなさを感じられる箇所を、ちょっとだけ紹介したい。
江戸時代に起きた天明の「浅間焼け」のとき、浅間山の山頂付近ではどんなことが起きていたか…
<引用>
赤い池が見える。
岩がとけて、真っ赤ににえたぎっているんだ。
池からふきだすガスといっしょに、
軽石が空高くまいあがっている。
火口のまわりには、とびちったしぶきがかさなって、
小山をつくっている。
その小山のすそをやぶって、溶岩がながれだしている。
<引用おわり>
岩が溶ける温度は、700~1200度(成分などによる)。
お椀によそいたての味噌汁でさえ熱くて飲めないのに、1000度は想像もつかない。
さらに、ガスと一緒に吹き出して空高く舞い上がる軽石。
河原などに転がっている石に比べれば半分くらいの重さかもしれないが、舞い上がらせるほどの力ってどれだけすごいのだろう。
絵本だから当然、「絵」でも楽しめる。
服装や建物、木の大きさ、浅間山麓に住む人々の火山との関わり方などの当時の様子が、見開きで描かれている。
山からまっすぐに上がった柱のような噴煙や、屋根に降り積もった灰の層、軽石が舞い上がる距離。
写真以上にリアリティを感じるのは、徹底的な科学検証+時代考証によるものだろう。
子供に読み聞かせるフリして、大人が夢中になってしまうタイプの本。
普段踏みしめている地面の成り立ちを知るための良書だ。