ルオムログ

本読みの小旅行045

山怪 山人が語る不思議な話

田中康弘 著(山と渓谷社)

山怪 山人が語る不思議な話

山の麓のちょっとだけ不思議な話。

1.石のはなし

北軽育ちの叔母にくっ付いて、散歩に出たときのこと。
ぽっくらぽっくらと歩くのが好きな人で、私をよく散歩に連れ出してくれた。
私のような子供連れだったから、車通りの少ないアスファルトの道を行くことが多かった。

ある日、叔母は普段とは違う、細い道に入っていった。
民家も途絶えた先に、小山のようなものがあり、道はさらにその奥へと続いていた。
道の両側には木々が迫っていたが、ずんずん進む後を追って、小走りについていく。
道が狭くなり、下草をガサガサ踏みながら、小さな崖を下りると、そこには小川が流れていた。

昼下がりの木漏れ日。きらきらと光る水面。揺れる水草。
何かの本で読んだ、神話の世界のようだった。

見惚けている私に、叔母が語ってくれた。

むかし、叔母自身が子供だった時、よくこの川辺に来て一人で過ごしていたという。
お気に入りの場所で、誰にも教えなかった。
いつものように小川まで行くと、見慣れぬ石が、小川の真ん中にあった。
向こう岸へ渡るのにちょうどよく、足を置くのに都合の良い平たい石だった。

見覚えがない。
しょっちゅう来ては、流れを眺めたり、あちこちを歩き回ったりしていたが、あんな場所に石があったろうか?
踏んで渡ってくれといわんばかりの魅力をムンムン放っており、不思議に思いつつ足を伸ばした。

足が触れるか触れないかといったその時。
石がぐるんと回った。
盛大な水しぶきを上げて、川中ですっ転んだ叔母。
何が何だか分からず、立ち上がったが、もうその石はなくなっていた。

話し終えて、ふっふっふっと笑い、あれは狐の仕業だったと思うと言った。
気付くと日が傾いていて、ついさっきまで親しげにキラキラとしていた小川が、夜の雰囲気を醸し始めていた。
叔母だと思ってついてきたけど、狐だったらどうしよう…と思ったのを覚えている。

2.鈴のはなし

一家で北軽に越してきて、数年が経った頃のこと。
夕飯を食べ終えて自室で寝転がって本を読んでいると、どこからともなく風鈴の音が聞こえてきた。
どこかの別荘で夏に吊るした風鈴を外し忘れたんだろう…と、さして気にも留めず、本に意識を戻した。
季節は9月か10月で、風鈴は確実に場違いな音だった。

しばらくして、また遠くにリーンという音が聞こえた。
部屋の窓は閉まっていた。
窓を閉めているのに、遠い風鈴の音が聞こえるだろうか…?

気になり始めた途端、次の音が鳴った。
中途半端に田舎であり、集落というには戸数が少なく、こんな時間に近所を歩く人はいない。
そもそも、家のぐるりは公道がなく(公道からほんのちょっと私道に入る)、誰かが自分の家を目指してくる以外にない。
少し前に気が付いていて、あまり気が付きたくなかったのだが、音は森から聞こえてきた。公道とは違う方角だ。
森の中に別荘が数戸あるが、夏ならいざ知らず、そんな時期に人がいるわけがない。

怖いもの見たさ(聞きたさ)か、ビビりすぎてか、親兄弟の部屋に行こうとはせず、全身を耳にしたまま固まっていた。
風に遊ばれるのとは違う、一定の間隔を保って鳴る音。
何かが、意図的に鳴らしている…?

遠くの風鈴かと思っていた音が、いつの間にかはっきりと聞こえるようになっていた。
どこかで聞いたことがある。
思い出せ、いつ、どこで聞いた?

雑踏を抜けて聞こえてくる澄んだ音…
黒い衣に身を包んだ坊さんが、街角で鳴らしているあの鈴…

窓のすぐ外で、鈴が鳴った。
全身の毛が逆立った。

弾かれたように立ち上がり、部屋を出た。
すぐ隣の両親の部屋が遠い。
鼓動が激しくて、周りの音が聞こえない。

半開きの両親の部屋からは、蛍光灯の明かりが漏れている。
早く光の中に飛び込みたいのに、光が明らかに「日常的」で、何故か躊躇した。
物凄い勢いで現実に引き戻されていく。
両親の部屋に足を踏み入れた時には、9割9分の感情が抜けてしまい、何を言いに来たのか自分でもよく分からなくなっていた。

さらに9割9分9厘も収まってしまった後に、両親に、鈴の音が聞こえなかったかと尋ねてみた。
母親からは「は?鈴?聞こえなかった」、父親からは「んぁ?」というような返答を得、自室に引き上げた。

戻った部屋はいつも通りだった。
窓は開いていない。カーテンも閉まっている。
読みかけの本が転がっている。
隅々まで明るくて、何だか嘘のよう。
あんなにはっきりと聞こえたものが、気配も何も感じない。

狐にでも化かされたんだろうか?山中でもなく、部屋の中で…?しかも平成の世の中で?
正体について心当たりもないし、調べようもない。
腑に落ちなかったが、仕方がないので寝てしまった。

すっかり忘れ去って何年も経った後、母方の祖母に会った時にふと思い出し、こんなことがあったと話してみた。
私の話を一言も挟まずに聞き終えた祖母は、ひとつ頷いて「そりゃあ、山の神様が来たんだねぇ」と言った。

ああ、そうかもしれない。山の神様だったかも。
こういうときの年寄りの言葉や表情というのは説得力がある。
そもそも神様が何しに来たのか気にならないではなかったが、祖母はそれ以上語らず、ニコニコしているだけだった。

家の外にも明るい外灯が立つようになり、ネットが普及してしまってから、そういう不思議には遭遇していない。

おむすびブックスがつくる本棚に『山怪』があり、思い出した不思議ばなしだ。
※現在、ルオムの森で「真夜中の冒険」をテーマに選書中。

囲炉裏端で爺さん婆さんが語ってくれる、地域の昔話。
酒やら生臭い系のおつまみを持って、1軒1軒、聞いて回りたい。

今日の言の葉

はっきりとしない何か、
語られることで生き長らえるもの

誰もが存在を認めているが、それが何かは誰も分からない。
敢えてその名を問われれば、山怪と答えるしかないのである(『山怪』冒頭より抜粋)

オチもなく、道徳的な戒めなどもない、各地につたわる民話。
薄暗い家の中では、老いも若きも囲炉裏端に集まり、長い冬の間語り継がれてきた「山怪ばなし」。
山に入ることが減り、山怪に遭遇する人も、それを語る人も聞く人も少なくなって、絶滅の危機に瀕している。

by ゆうき2019.01.17

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