樹種も形も様々なスプーンが並んだ小ジャレた表紙と、タイトルに惹かれた。
「木のスプーン」でも「木とスプーン」でもなく、どうして「森と木とスプーン」なのか不思議に思いつつ、ページを捲る。
彫るという行為は有史以来、スプーンという道具は旧石器時代には使われていたのだそうで、縄文時代よりも前の話だ。(「はじめ人間ギャートルズ」のころだ)
人類とも馴染み深い「スプーン」の歴史から、自然と自分をつなぐ(さらには社会もつなぐ)クラフトとして、説明が進む。
説明といっても、学術書のような話ではない。
自然科学と哲学の間を行き来しながら、スプーンになる前の材、材になる前の木、木が生えていた環境の森が見えてくる。
ざっくりとしたスプーンの作り方や、美しいビジュアルもさることながら、スプーンの背後に森が見えることにドキドキする。
興味は持つけど、何かにつけて言い訳して実行に移さない私のような輩を、この本は許さない。
木工の知識がないとか不器用だといった腰を上げない理由をやすやすと見越して、ロマンチックな誘惑をする。
失敗のない材や伝統的な選択は横に置いておいて、「心動かされて」選べという。木とのきっかけや縁の方が意味深いという。
例えば、おばあさんのライラックの茂みから切った木から軽量スプーンをつくる。メイプルからしたたるシロップやリンゴの香りで(木や材を)選ぶ。
選んだあとの作業では、たえず触りながら自分の手指を使う。
指先は「驚くべき正確さで、深さ、寸法を測ることができ、見えない粗さも触知」する。
スマホやキーボード触ってるだけではわからない、指の情報収集能力にも気付けるだろう。
出来上がりは、市販品のようなシンメトリーな形じゃないかもしれない。慣れない作業で失敗するかもしれない。
それでも、木を選ぶことにもひとつひとつの作業にも意味があり、驚きがある。完成したスプーンが美しいものでなくても(あるいは途中で柄が折れてしまったりしても)、体の隅々まで広がる充足感が想像できる。
さあ、重たい腰を上げて、木を選ぶところからはじめてみよう。