無類のバター好きである。
傷んだ値引き野菜を買っても、バターはちょっといいものを買う。痩せねばならんときに酒を断っても、バターは厚塗りだ。
香りも風味も佇まいも「溶けだし方」も好きなので、もう抗わないことにしている。
先日、地元のイベントに出かけた時のこと。思いがけずバターづくりの機会を得た。
茶色い牛が大人しく繋がれた酪農ブース、周囲には数名の子供とお母さんたちがいる牧歌的な場所に、「手作りバター体験」の看板を目ざとく見つけた私は友人とともに駆け付けた。
こんなにバターが好きなのに、バターを作ったことがなかったからだ。
お金を払って、瓶を受け取る。
瓶の中にはバターの元が入っており、すでに幸せのオーラを放っている。
訊けば、なんと発酵バターだという。バターづくりの初体験が「発酵バター」づくり!さらに口数も減り、教わった通りに瓶を振った。
ほんの一握りのバターを作るのに、15分間いい大人が全身全霊をかけて瓶を振らないとならない。これはけっこう(かなり)大変なことで、翌日の筋肉痛はもちろん、翌々日~3日ほどスジも痛かった。工場で同じことしてるわけではないだろうけど、バターの高さ(値段)も納得がいくってもんだ。
出来上がった黄色いバターの匂いをかいだり、ひっくり返して眺めたりしていて、ふと、ローラのことを思いだした。
ローラというのは、『大きな森の小さな家』や『大草原の小さな家』の主人公だ。
今から百年よりももっと前に、広大な北アメリカで厳しい開拓生活を送ったインガルス一家の女の子。
好奇心旺盛な彼女の目を通して、家族との毎日の暮らしや、野生動物の様子がつぶさに描かれている。
一家で馬車の旅…とだけ聞けば、バカンスっぽいし楽しそうだが、実際には、激流に飲まれて流されそうになったり、愛犬がいなくなったり、オオカミの声に怯えたりの日々だ。
ようやく居場所をつくっても、家がない。
建売住宅を買うわけではないので、材の調達も組み上げも自分たち。ようやく横壁ができても、ドアがない。屋根がない。
想像してほしい。
ツキノワや猪、鹿が主役の山中、ドアなしの家で寝起きすることを。
もし今、家がなく、電気も水道もない中で、生きて行かなけりゃならなくなったら、「希望」を失わずに暮らし始めることができるだろうか。
個人的には、二度読みをおすすめする。
一度目は、ローラとして物語を追体験する。6歳の少女の剥き出しの心情そのままに、興奮や不安や安堵の波にのまれる。
二度目は、時代背景を加味しつつ、大人の目線で読む。
※三度目以降になると、美味しい箇所などつまみだして読む余裕がでる。
バターも、ベーコンも、揺り椅子も、暖炉も、丸太小屋も、井戸も手作りする。
現代のように何でも買えるわけではないし、買いに行くのも一苦労。
便利さを享受した状態で、ローラたちの自給自足を羨むわけにもいかないが、時折登場する美味しそうなバターは、スーパーでは絶対に買えないものだ。
このシリーズは、食いしん坊で本好きな友人らの間ではファンが多い。
これをバイブルとして北軽ライフを楽しむ人も少なくない。
冬じたくに忙しい今の時期に読むと、なるい夏なんかよりずっとリアリティをもって想像できるはず。
※ バターづくりの詳しい描写は『大きな森の小さな家』に記載されています。というか『大草原の小さな家』にはバターづくりが出てこなかった!!