前世はたぶん、冬を知らずに死んだ藪蚊であったが、前々世は寒い国でいい思いをした生き物だったと思う(前世藪蚊説については別の機会に譲る)。
ぐっと冷え込むこの季節がたまらなく好きで、テンションが上がるのだ。雪が降って乾いた冷たい風が吹くようになると小躍りしたくなる。 だってまず、雪の結晶がきれいだ。一つとして同じものがない。冬の夕焼けの色合いと冠雪に反射する夕日が好きだし、薪ストーブを焚いた時の匂いも好きだ。粉雪を踏んだ時の音も好きだ。雪上に残された生き物の足跡からどんなドラマがあったか妄想するのが楽しいし、吹雪を見るのが好き(地吹雪はとくにいい)、風紋にロマンを感じるし、一夜にして景色を変えてしまうような「雪」の途方もなさに痺れるし、縮こまるほど寒い外から帰 った時の室内の暖かさもいいし、強烈に「生」を実感できるし、人が少なくて静かなのもいい(店としては微妙だが)等々、ともかく好きなのだ。
そしてついに、大興奮の冬の楽しさを知らしめるチャンスがやってきた。大好きだが集客の難しい冬に、絵本をモチーフにした冬の楽しさを発見する企画展を開くこととなった。その名も『冬の森で見つける物語』という。
タイトルに含まれる「冬」という季節も、冬至と大寒、立春の頃では全然違う。雪の質感が変わり(適した遊び内容も変わる)、ツララができたり根開きしたりしながら、少しずつ春へと向かう。その過程は、特殊なセンサーがないと気付かないかもしれない。誰もが備えているけれど、使わないでいると鈍くなってしまうセンサー(五感)だ。
『冬の森で見つける物語』では、五感に「想像力」も加えたい。裸木になった森ではリスの巣も鳥の巣もヤドリギも丸見えになって、彼らの活動の様子がよく見える。雪上には生き物が歩いた跡がたくさん残る。乱れる足跡は、弱肉強食の白熱した戦場跡地かもしれない。付かず離れず長く続く足跡には、恋を予感するかもしれない。古木の洞にある崩れかけた鉄扉は、理由あって去らねばならなかった何者かの家だったかもしれない。人間が雪を掻いたところから分岐して、野鼠1匹がようやく通れるくらいの道を辿ると小さな扉があったりするが、もしかしたら何かが棲んでいるかもしれない。